公立大学法人 福島県地域医療支援センター

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公立大学法人 福島県立医科大学地域医療支援センター

Recruitment of instructors and specialists Interview

指導医・専⾨医インタビュー

地域医療支援センター特任教授 古田 実 先生

地域医療支援センター特任教授

古田 実先生

勤務先相馬中央病院 副院長兼眼科部長

福島県で勤務するに至った経緯を教えてください。

29年間福島県内で診療をした後、2020年に千葉の東京女子医科大学八千代医療センターに移りました。
しかし、コロナ禍もあいまって目指していた診療環境を構築できず、お世話になった福島の眼科勤務医が少ない地域で地域に根ざした医療をすることにしました。

実際に生活・勤務して、福島はいかがですか。

院内の環境はとても良く、小さな病院なのに東京大学や東北大学出身の先生が何人もいることに驚きました。この病院での研究を英語の査読付雑誌に投稿される先生もいます。
現在は仙台から通勤しています。高速道路を使って1時間程度で、運転には慣れましたが、自動運転の進歩に期待しています。

今後、指導医としてどのような人材を育成したいとお考えですか。

(モチベーションとしてですが、)広い知識を若いうちから持つことよりも、よりどころとなる強みから知識を広げ、⼀⽣かけて全体をカ バーすることを⽬標としたほうが楽しいのではないかと思います。 そのような過程を経て地域で活躍しているベテランの先⽣は⽣き⽣きされています。
⼀⽣楽しく診療するためにどうすれば良いか考える機会を提供できればと思います。

地域医療支援センターの指導医招へい制度を活用しての感想をお聞かせください。

これまで、准教授という職位で長く大学病院で勤務しました。
相馬の小さな病院で地域医療に従事することを考えましたが、多施設共同研究や日本眼腫瘍学会理事長の継続ができるかどうかが正直なところ心配でした。
地域医療支援センターで特任教授という職位をいただけたことはとても大きいです。
現在は週一回大学病院で特殊外来をしながら、普段は地域医療に没頭しています。
臨床指導医資格をお持ちの先生が、今の職責や専門性を維持しながら地域医療に従事する勤務医になるためのとても良い制度だと実感しています。全国どこからの転入も積極的に受け付けています。

福島で働くことに興味を持った方へ一言お願いします。

県外にいらっしゃる臨床指導医資格を持つ先生、特に教授にならずに大学に長く勤めてしまった先生へ、福島県はとても広く、全ての科で勤務医が不足しています。
先生のスキルを県内の市中病院で生かしながら、若手の育成や研究の継続をしてみませんか。
大学のアカウントが頂けるので、図書館サービスも全てオンラインで使えます。是非ご活用ください。

地域医療支援センター特任教授 植村 元秀 先生

地域医療支援センター特任教授

植村 元秀先生

勤務先公立岩瀬病院 泌尿器科部長

福島県で勤務するに至った経緯を教えてください。

かつての大震災の際には、研究留学のためのアメリカにいました。
繰り返し流される映像を見て、遠くから涙を流していたことが思い出されます。なにか役立つことができればと、休みをもらって一時帰国することを検討していました。
しかし、それ以上の留学生活を継続できる状況ではなくなったため、その思いはかないませんでした。
その10年後にたまたまこのような福島県での勤務をするという機会を得ましたので、恩返しのつもりでやって参りました。

実際に生活・勤務して、福島はいかがですか。

医療スタッフを含めて多くが優しいかたばかりのように感じています。
これまで雪の降るところに住んだことがないので、冬の生活がどのようなものになるのか怖いです。

今後、指導医としてどのような人材を育成したいとお考えですか。

これまで長い期間大学で勤務していたので、教育の大切さや責任を痛感しています。
後進の指導、育成は伝統技能と同じく重要であり、さらに更なる後輩を指導するための姿勢と心意気を身に付けてもらえる教育をしたいと思っています。
自分自身が研修医だったときの気持ちを可能な限り振り返りながら、指導医としての職務を全うしたいと思っています。

地域医療支援センターの指導医招へい制度を活用しての感想をお聞かせください。

研究費の補助もあり、少しでも環境を整えてあげようというスタンスが感じ取れます。
当然、これから赴任される方にとっても魅力的な制度と思いますので、続けてもらえると嬉しいです。
しかし、県外からの医師の獲得は容易なことではないと思われますので、県外在住の福島県出身者に対して積極的なアプローチをされるのがいいのかなと思います。

地域医療支援センター特任教授 川前 金幸 先生

地域医療支援センター特任教授

川前 金幸先生

勤務先太田西ノ内病院 特任病院長

福島県で勤務するに至った経緯を教えてください。

山形大学医学部を定年退職し、福島医大の竹之下理事長から紹介いただきました。
もともと福島医大卒で麻酔科、救急科を経て山形大学救急科、麻酔科へと異動しました。22年間山形で過ごしました。昨年、福島県に戻って支援するようにとのご依頼を頂き、郷里でもある郡山市に再就職させて頂きました。

実際に生活・勤務して、福島はいかがですか。

(医療現場は)医師が不足している状況が見て取れました。国立大学法人とは異なり、研究中心から臨床、教育、そして病院の運営にもあたっています。
職場環境は、かつての福島医大の同僚、他科診療科にも後輩、先輩が院内に多数勤務されており、懐かしさとよしみを感じつつ、とても働きやすい環境です。
一方、世間では地域医療構想や働き方改革が進んでおり、改善の方向にあり、今後、様々な改革や変化がやってくるものと期待しています。

(生活環境は)もともと郡山市出身ですので、医師のみならず旧知の仲間もたくさんおり、生き生きと働かせて頂いております。

医師を志した動機、現在の診療科を選択された理由を教えてください。

在学中に学んだ知識を生かすには、何をするかを考えた40年前に、これからは予防医学だ!と思いました。治療は予防に勝ると言っていました。今もそうだと思います。その予防医学を修めるには、やはり人体の疾病や病態を知り尽くさないと予防医学には到達しないと考えました。そこで、なんでも診れる診療科は何かと見回しました。
小児科と麻酔科が浮かんできました。小児科にも興味はありましたが、、、。
福島県立医科大学の麻酔科は、かつて麻酔・救急・集中治療・ペインクリニックと麻酔科関連領域すべてに関与し、各科の患者を相手に、手術という侵襲が加わる状態から患者を守るという「芸術」を目の当たりにしました。そして、その人材の育成に尽力されておりました。そこで、まずは何でもできる医師、オールマイテイな医師になって予防医学をやろうと麻酔科を選びました。
まだ当初の目標は達成されておりませんが、、、(笑)。

指導医として心がけていることはどのようなことでしょうか。

かつて、22年前に山形大学の救急医学講座の初代教授に就任した際には、「教育こそすべて」の勢いで、なかば強制的にこちらの教えるべきことを教える!という姿勢で取り組みました。半強制的と言ってもよかったと思います。しかしながら、ゆとり世代が入学してくるにつれて、こちらのペースで教育や指導をしていると、落ち込む学生ややる気を失せる学生が徐々に増えてきました。その頃は何が悪いのか?わかりませんでした。
その後、パワーハラスメント、アカデミックハラスメントなる用語が出てきたことを記憶しています。その時に、一人一人の学生や、研修医、そして同僚に合わせた教育、指導をする時代なのだ!ということを悟りました。これが約10年前くらいでしょうか?
それ以降は、テーラーメイド!いわいる一人一人の相手に合わせて、教育指導を進めるという姿勢に変えました。一人一人のバックグラウンド、知識や経験のボリューム、そして価値観も多様化し、また積極的な方、消極的な方、能動的な方、受け身的な方、性格も様々です。基本的に到達目標は、今も昔も変わらないとして、その進め方は一人一人に合った進め方を考えるように心がけています。

今後、指導医としてどのような人材を育成したいとお考えですか。

「地頭の鍛えられた人材」を育成したいと思います。すべからく受け身ではなく、自分から進んで考える、いつも疑問文を持ち掘り下げる習慣のある人材です。患者を診ることも応用問題を解くようなところがあります。そのためには単純に知識のみ詰め込んだだけでは解決しません。いつも問題を見つけ、自ら考える習慣を有していないと応用力は身につかないでしょう。自立性と自律性が重要です。積極性が最重要です。そのためには自分なりの規範と動機づけ、健康、体力も必要でしょう。
そこから気配りや、思いやり、精神力なども紐づいて人格を育んでくれるものと信じています。

当地域医療支援センターの指導医招へい制度を活用しての感想をお聞かせください。

福島医大が中心となってこのような取り組みをされていることを、昨年始めて知りました。福島県の医師不足は他県に比しても深刻です。そのような観点から、本制度は今後、福島県に優秀な医師を集め、福島県の医療にも貢献する人材育成として素晴らしい制度だと感心しています。

福島で働くことに興味を持った方へ一言お願いいたします。

「福島県は医師が不足しています。求められる医師として、一緒に働きましょう!!」

その他 関連して御意見等ありましたらお願いいたします。

県全体で医師増加のための戦略を駆使していることと思います。その内容等について、周知して頂くとともに、関係各位で一人一人が何ができるかを考える機会を設けてみることも名案かと思いました。

※川前金幸先生は、令和5年9月8日救急功労者として総務大臣表彰を受けられました。

地域医療支援センター特任教授 安田 貢 先生

地域医療支援センター特任教授

安田 貢先生

勤務先JA福島厚生連白河厚生総合病院救急治療科部長

福島県で勤務するに至った経緯を教えてください。

福島県白河市出身で昭和57年に白河高校卒業後、筑波大学医学専門学群に進学しました。大学卒業後は筑波大学脳神経外科に入局し、茨城県内で勤務、筑波大学臨床医学系講師として教育職も経験しました。筑波大学在職中に東日本大震災を経験し、筑波大学附属病院災害復興対策副本部長として災害対策や支援活動を通じて故郷福島への思いがより強くなりました。福島第一原発ER支援や浜通りへの医療支援は当時から現在も継続しています。その後、国立水戸医療センター救命救急センター長時代に新型コロナウイルス(COVID-19)対応を担ったわけですが、感染症制御医かつ、県災害統括であったことで茨城県医療統括監を務めました。2024年4月にCOVID-19が5類感染症となったことで任務を全うしたと感じ、故郷の福島県に戻る決断をしました。

安田先生は、白河出身で地元に戻られましたが、地元に戻られた感想をお聞かせください。また、医師の立場から福島はどのように見えますか?

中学・高校の同級生が地元に多くいることにちょっとビックリしました。学校卒業後からすぐ白河で勤務、ある程度の年齢になってからUターンなど様々ですが、2ヶ月に一度他職種の高校同期会や「白楽会」と称した会合など交流機会も増え、医療以外の分野で要職についている面々が多くいることを知りました。還暦時、高校同窓会で講演をさせてもらいましたが、同級生の反応は「まさか白河に戻ってくるとは思っていなかった」と驚かれました。
現在、社会実験として週一回のドクターカー運用を行っていますが、病院前救護の文化のなかった県南地域で赴任前後の短期間で運用までに至ったのも、白河消防で同級生が消防長と警防課長を務めていたことが大きな要因でした。そのノウハウは茨城県で20年前に始めたスタイルで過去の経験が大いに役立ちました。別分野での話になりますが現在も隣県茨城のスポーツ協会役員を務めており、私が橋渡し役になって白河市スポーツ協会と前任地との交流など医療以外の分野でも地域活性化に一役買っています。
医療面での東日本大震災福島原発事故の影響は大きく、とくに医療人的資源において10年は後れをとっていると感じます。前に述べたように医学教育のみならず、多方面で福島の災害復興に隣県で支援できる限りのことは行ってきましたが、医師人生最後の仕事を茨城で得た技術と知識をもって福島の中からあたりたいと思っています。

医師を志した動機、現在の診療科を選択された理由を教えてください。

学生時代に課外活動でバスケットボール以外に学園祭活動などもやっていて、みんなで協力して何かを成し遂げることに喜びを感じていました。その精神は、いまでいうチーム医療につながっていると思います。また、曾祖父は旧白河町の町長であり、渋沢栄一子爵と南湖神社の建立に尽力するなど地域や人のために尽くしたと幼少期から聞かされていました。江戸時代から代々医療系の仕事であったことなどから医師の道を志しました。大学時代の講義でホルモンのフィードバックシステムに大変興味をもったことがきっかけで、私の研究テーマは内分泌です。研修医時代の研究日はPCRを用いて下垂体腫瘍に関する動物実験を行っていました。コロナ禍で医療統括監として10回以上TV出演し、PCR実験の知識と経験は対COVID-19に活かされ、「わかりやすい解説」と視聴者や関係者の方々から評価をうけNHK局長賞をいただきました。当時は全て手作業の実験で、思ってもいませんでしたが30年を経て、私個人の実験成果以上に世の中の役に立ったと感じた出来事でした。
医師10年目の頃、脳神経外科医として地域の二次救急病院に勤務しバリバリに臨床を行っていましたが、2001年に救急救命士業務高度化によるメディカルコントロール体制(MC体制)が開始され、消防の依頼で茨城県および地域MC体制の礎を築く立場となったことが大きな転機となりました。筑波大学教員時代の担当講義は「病院前救護学」、ドクターヘリやドクターカーが専門分野で、それぞれ搭乗歴は14年、21年になりました。また2004年から茨城県やその近隣地域でBLS・ACLSなどのシミュレーション研修会を主宰するようになり、気がついたら救急医学と脳神経外科との二刀流になっていました。

指導医として心がけていることはどのようなことでしょうか。

「大道無門」
学ぼうとする人に常に道は開かれています。自身は情熱を持って医療に取り組み、常に挑戦しつづけています。その経験を活かし、学ぼうとする研修医に対して自身の経験と技術を短期間で伝承することが出来ると考えています。いまだに茨城で脳神経外科外来や2000例を超える脳神経外科手術を行っていますので、ヒヤリとした経験も交えて病院前から初療、そして病院後への一貫した脳神経救急領域の指導が可能です。
研修医の特権は「何でも聞く(質問)ことができること」です。年月を経るごとに聞くことが難しくなってきます。若手医師には遠慮せずに積極的に質問してほしい。自身の考えを持ち、言葉にすることで考える姿勢を身につけ自ら成長することが出来ます。そのため、私から回答する前に必ず彼ら自身の考えや意見を述べてもらうことにしています。

今後、指導医としてどのような人材を育成したいとお考えですか。

地元愛をもった医師を育てたいと考えています。

当地域医療支援センターの指導医招へい制度を活用しての感想をお聞かせください。

前に述べたBLSやACLSなどのシミュレーション教育で福島県立医科大学救急医学講座の田勢長一郎前教授、伊関 憲現教授と交流がありました。学会でお会いしたときに私の思いを相談したところ、地域医療支援センターの指導医招へい制度などについて紹介いただき、自身の決断の後押しになりました。

福島で働くことに興味を持った方へ一言お願いいたします。

指導医として現勤務の病院や地域にとってかけがえのない存在である先生方にとって、福島に異動することは並々ならぬ決断であり、少なからず不安もあると思います。福島にご縁のある方、福島の医療復興、発展に寄与したいなど理由は様々ですが、そんな気持ちを持つ先生方は地域医療支援センターに相談いただければ、疑問や不安の解消になると思っています。

その他関連して御意見等ありましたらお願いいたします。

福島の震災からの復興はまだ道半ばであり、おそらく私たちの世代から次世代につなぎ、未来を築いていかねばならないと感じています。医学教育や地域医療に対して、ともに力を尽くしてくださる先生方をお待ちしています。

地域医療支援センター特任講師 林 堅二 先生

地域医療支援センター特任講師

林 堅二先生

勤務先JA福島厚生連白河厚生総合病院救急治療科集中治療 部長

福島県で勤務するに至った経緯を教えてください。

救急医学講座の伊関主任教授からお声かけ頂きました。本当に感謝しております。

実際に生活・勤務して、福島はいかがですか。

本県は都道府県別面積が全国第3位と広大であるため、ドクターヘリの飛行距離は長くフライトドクターとして搭乗する担当日は非常に疲れます。しかし、職場のスタッフは優しい方ばかりで、いつも疲れを癒やしてもらっています。凄く働きやすい環境です!

今後、指導医としてどのような人材を育成したいとお考えですか。

自身が医師として歩み始めた頃に抱いた苦労と照らし合わせ、若い先生方がどのような壁にぶつかっているのかを共有でき、それに対する解決の糸口を導き出すための多くの引き出しを持った後進の育成を行いたいと思っています。

地域医療支援センターの指導医招へい制度を活用しての感想をお聞かせください。

首都圏を除いて医師不足は深刻な問題であり、医師確保は重要な課題です。本県では福島県立医科大学が中心となり、全国に先駆けて本制度に取り組まれていることを教えて頂きました。福島県のより良い医療の発展を目指した人材確保として非常に素晴らしい制度だと感じております。

地域医療支援センター特任教授 松本 康史 先生

地域医療支援センター特任教授

中川 聡先生

勤務先いわき市医療センター診療局集中治療部主任部長

福島県で勤務するに至った経緯を教えてください。

国立成育医療研究センターで定年を迎えるにあたり、出身地である福島県を含む東北地方で、その後、勤務できる環境がないかどうかを探していました。幸い、地元のいわき市のいわき市医療センターの先生方と面談をする機会があり、この病院で集中治療部の専任医師としては働くことになりました。

中川先生は、いわき出身で地元に戻られましたが、地元に戻られた感想をお聞かせください。また、医師の立場から福島はどのように見えますか?

いわき市には、実家がありますので、機会があることに戻ってきていました。しかし、住むのは高校生以来です。高齢化などの社会構造の変化、モータリゼーションによる市の中心部の空洞化など、街は見た目には大きく変化しています。医師としてみると、いわき市は日本有数の広域市で、いわき市医療センターが三次医療として、市全域や双葉郡の南側、疾患によっては茨城県の北部までカバーしており、いわき市医療センターのおかれている立場の重大さを感じています。

医師を志した動機、現在の診療科を選択された理由を教えてください。

母が看護師だった影響は大きかったと思います。小学校高学年か中学校の時の読書感想文の課題本として、シュバイツァーの伝記が机の上に置かれていたりして、潜在的な刷り込みがあったのかもしれません。ただ、医師は、人の役に立つ仕事であり、専門性がある仕事であることが魅力でした。
現在の診療科に関しては、まずは、小児医療に進んだのですが、重症の小児患者を自分の目の前で失ってしまうということがあり、これは、自分の力量が不足しているのであれば、助けられるような能力を持ちたい、という思いが芽生えました。当時の指導医に相談をしたら、その時点で、日本では小児集中治療を勉強できる施設がないため、まずは、麻酔科で研修をして、いずれは海外で小児集中治療の研修をすることを勧められました。
今は、小児の集中治療から離れて、成人主体の集中治療に身を置いていますが、成人疾患の診療は40年ぶりくらいですので、一から勉強のし直しです。

指導医として心がけていることはどのようなことでしょうか。

研修医にとっては、自ら学ぶ姿勢が重要だと思っています。したがって、研修医に学ぶきっかけを与えられるように心がけています。病態に関連する論文や総説があれば、それを研修医と共有して、一緒に知識を深めるようにしています。

今後、指導医としてどのような人材を育成したいとお考えですか。

「集中治療科」は数年前に厚生労働省によって標榜診療科として認められました。集中治療は医療分野としての認知度はまだ高くなく、福島県内でも集中治療専門医はまだ少ないのが現状です。ゆくゆくは、現在勤務医しているいわき市医療センターを集中治療が研修できる施設にして、集中治療専門医を育成できればと思っています。
また、初期研修や後期研修の間に、重症患者の管理に触れていただき、集中治療医と連携して診療できるような体制を作り、各診療科と集中治療との橋渡しを考えてくれるような人材が増えてくれるといいなと思っています。

当地域医療支援センターの指導医招へい制度を活用しての感想をお聞かせください。

福島県の出身者に限らず、ある一定の年齢になった時に、医師が潤沢な都市部ではなく、医師数が少ない地方で継続して勤務したいという医師は多いと思います。そういった方の受け皿になる大変良い制度だと思います。

福島で働くことに興味を持った方へ一言お願いいたします。

福島県は、人口当たりの医師の数が少ない県です。福島県は、経験豊富な指導医の方々が活躍できる場です。
福島県というと、辺鄙な土地に聞こえるかもしれませんが、中通りには新幹線が通っていますし。浜通りのいわき市は、東京まで常磐線の特急で2時間ちょっとで行けます。関西方面へは、福島空港から伊丹空港への定期便がありますので、これを使うと便利です(実飛行時間は60分以内です)。
また、自然が豊かで、食べ物もおいしいです。特にいわき市は、「常磐もの」といわれる近海の魚介類が豊富で、新鮮な海産物が楽しめます。
医療体制においては、地元の福島県立医大や、隣県の東北大学や筑波大学、あるいは東京の大学との連携をしている診療科もあり、出身大学の垣根なく支援が受けられます。

その他関連して御意見等ありましたらお願いいたします。

日本の医療は、アジアの各国から注目されています。それは、医療技術の身ならず、医療体制についても言えます。特に医療体制という点では、アジアが置かれている状況を考える場合には、地方にそのヒントがあるのではないかと思っています。
すなわち、医療リソースが完全に整っていない地域で、近隣の(場合によっては100 km先かもしれませんが)高次医療機関と連携をして最良の医療を地元住民に届けるという仕組みは、東南アジアの国々にも応用できるのではないかと思っています。こういった観点で、福島県内での医療ネットワークを軸に、アジアの医療提供体制のモデルになりうるのではないかと考えています。

地域医療支援センター特任教授 松本 康史 先生

地域医療支援センター特任教授

松本 康史先生

勤務先医療法人辰星会枡記念病院脳神経外科主任部長兼脳卒中センター長

福島県で勤務するに至った経緯を教えてください。

枡記念病院に赴任する前は、東北大学病院で先進血管内治療開発寄附研究部門の教授を拝命しておりました。幸いにも優秀な後進が多数育ち、大きな達成感を感じる一方で、50代の内に「何か新しいことにチャレンジしたい」という強い気持ちになっていました。ちょうどその折に、枡記念病院の太田守先生が持つ「福島県の脳血管内治療を向上させたい」という思いに共感し、二本松市にある枡記念病院で勤務させていただく運びとなりました。地域医療への貢献を目指す、大変やりがいのある新たなスタートです。

実際に生活・勤務して、福島はいかがですか。

仙台中心部の繁華街に長年住んでおりましたので、正直言って不安もありました。仙台から車や新幹線で通うことも可能でしたし、福島市で住むことも考えたのですが、やはり地域に根ざした診療を行うためには二本松市に住むのがベストだろうと思い、思い切って二本松市に単身赴任することに決めました。二本松市は歴史のある城下町だということは知っておりましたが、実際に暮らしてみると想像以上に素敵な街でした。また、枡記念病院のスタッフの皆様はとても暖かく優しくしてくれており、大変快適に過ごせております。

医師を志した動機、現在の診療科を選択された理由を教えてください。

脳卒中、特に脳梗塞の治療は、文字通り「時間との戦い」という側面があります。発症から血管内治療を成功させるまでの時間が、患者さんの予後(回復)に直結するからです。例えば、片側の手足が全く動かず、言葉も話せず、意識も悪い、という状態で搬送されてきた重症脳梗塞症例に対し、緊急でカテーテルで血栓を取り除く治療を行い、直ちに脳血流を再開させます。すると手術台の上で手足が動き始め、質問にも答えられるように劇的に改善することもあります。その瞬間には医師だけではなく、看護師さん、放射線技師さんたちからも歓声が上がるほどです。24時間365日対応するというのは、本当に厳しい仕事ですが、やりがいを感じてしまいます。

指導医として心がけていることはどのようなことでしょうか。

私の専門とする「脳神経血管内治療」は、カテーテルを使って脳の血管の中から治療を行う分野です。脳梗塞やくも膜下出血といった、その後の人生を左右する病態に対して、頭を開かずに治療できるのが大きな特徴です。同じような治療結果が得られるのであれば、頭を開けずに治療する方が患者さんの負担も少なくて良いですよね。
この治療は専門性が要求され、脳神経外科や脳神経内科等の専門医を取得した後に試験を受けて脳神経血管内治療専門医になることができます。私は専門医を育成する指導医という立場にあります。脳神経外科医だけでなく、脳神経内科医や救急医の先生方にも脳血管内治療に興味を持ってもらい、1人でも多くの脳血管内治療専門医を育てたいと思っています。

今後、指導医としてどのような人材を育成したいとお考えですか。

具体的な目標として、日本脳神経血管内治療学会(JSNET)指導医の育成があります。全国には578名の指導医がいますが、私が赴任した時点で福島県内には3名しかおりませんでした。これを10名程度まで増やしたいと考えています。そのため脳卒中治療に興味のある若い先生方を積極的に増やし、合格率が50~70%である専門医試験に合格できるよう熱心に指導し、最終的にJSNET指導医を取得するまで責任をもって育成したいと考えております。

当地域医療支援センターの指導医招へい制度を活用しての感想をお聞かせください。

後進をしっかりと育てるためには、指導する側である私自身も常に勉強し、成長することが必須だと考えています。この制度は、そのために必要な学会への参加や、最新の知見を得るための図書の購入などに活用したいと考えており、大変感謝しております。

福島で働くことに興味を持った方へ一言お願いいたします。

福島での生活は、温かい人々に囲まれ、また地域医療に対する熱意あふれる仲間と共に働く、非常に恵まれた環境です。脳血管内治療のよっに、患者さんの命を救い、その後の人生を左右する劇的な瞬間に立ち会えるやりがいは計り知れません。私たちと共に、福島の地域医療のレベルをさらに向上させ、未来の専門家を育成するチャレンジに挑んでみませんか。心よりお待ちしております。

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